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- 古藤 格啓
心拍が乱れています。早めに来てあげて。
本日の早朝4時50分に病院のナースからの電話で起こされた。
すぐに準備をして病院に。
急いで車で向かうもすでに息は絶えていた。
赤く染まった0という数字を痛烈に突きつけられる。
ゼロ、ZERO、0。
いつか人は0になるのだ。
手も顔も冷たかったが布団の中に手を入れたら胸にまだ温もりが残っていた。
子供の頃、日曜日の朝になるとゆっくり寝ていた父の布団に潜り込むのが好きだった。
そして全身をくすぐられて悶絶するのがお決まりだった。
その胸の温かさはその時の父の温もりと匂いが好きだったことを思い出させた。
かくして6時36分にドクターにより死亡が確認された。
先日から僕の頭の中では11月1日にその命が終わるような気がしていて何日も前から妻や弟にもきっと11月1日だよ、と言っていた。
自分としても希望的観測を望むのだが、どうもしっくりこない。
果たしてその通りになってしまった。
父は享年89歳(87歳没)、平均寿命よりは長生きできた。
あの歳で頭があそこまで冴えている人はそうはいなかったのではないか。
病があったことが悔やまれる。
この3ヶ月は痛みとの闘いだったが、最後は安らかだった。
教養とユーモアに溢れており、専門分野に強い学者のようなその気質、そして孤独と笑いを愛する人だった。
母の時は入院翌日に亡くなってしまった関係で唐突に切り離された強烈な感覚があったのだが、父の場合はそれとは少し趣が違っていた。
それは周りの人と共にゆっくりと穏やかに死を準備していたかのようだった。
それは決して辛い時間ではなく、覚悟の時間を与えてもらったようでとても幸せだったかもしれない。
数年前から腎臓ガンらしきものがあると医者からは言われたが、積極的な治療はせずになんとなく過ごしてきた。
逆にそれが功を奏したのか、母が亡くなった後もひとり暮らしで元気にやっていた。
3年前には両膝の人工関節、腰椎に固定のボルトを入れる手術をしたのにも関わらず、その後杖を使いながらも元気に歩き回っていた。
手術後は膝の痛みも足の痺れも無くなった。
こういう時に整体は無力であることを実感する。
時には朝に家を出て池袋を闊歩し、有楽町でクラシックのコンサートを見てから新宿へ行って桜の写真を撮ってお気に入りのお店でご飯を食べ、特急レッドアローで家に帰る。
そんなやんちゃな日もあったようだ。
社会性に溢れ、常に人と交流し、周りを笑顔にしていた。
そして人に贈り物をすることを至上の喜びと感じていたようだ。
遺品を整理していたら、やたらと誰かに物を贈った形跡が出てきた。決して人への恩を忘れない人だった。
子供の頃からたくさんのことを教えてもらったと思う。
その中でも特に心に残っているのは人との付き合い方や距離の取り方などの処世術だ。
こういう人もいる。
そんな考え方もある。
あんなやり方もある。
大人になっていろいろ経験するまでは本当にはわからなかったが、父親からのアドバイスの数々は僕の宝だ。
その生き方の数多の法則に則って生きていけば基本的に父のように間違いがないと思う。
ただ、その生き方は慎重過ぎて僕にはおもしろくないから(笑)そこはちょっと破っているけどね。
もうあの軽妙なトークが聞けないのは寂しいが、最後は父が大好きなブラックジョークで笑って送ってあげたい。
ドリフが好きだったから棺桶引っくり返すくらいの葬式コントでもしてやろうか?
え?笑笑笑
母の時はただただ悲しかったのだが、今回の父は少し違う。
悲しいという感情よりも寂しいという感情なのだ。
寂しい寂しい寂しい。
寂しいよ。
そうか、寂しさが溢れても涙は出るんだ。
改めてそんな感情とも向き合うこととなった。
施設から病院に入院する前日の10月7日に最後に話をした。
モルヒネと同等の強烈な痛み止めを飲んでいたために数週間意識が朦朧としていたのだが、不思議とその日だけは覚醒していた。
40分ほどいろんな話をした。
そんな中うわごとのように言っていたのは…あとは家を頼むぞ、兄弟仲良くね、仕事はうまくいってるのか?そうか、それはよかった。
これを繰り返した。
それなら全て心配ない。
弟とも本当に仲がいいし、あなたが溜め込んだ数多の本(数千冊!!)もきっちり片付けるよ。
なんなら棺に入れる本も決めてあるよ📕
仕事は表参道も福岡も順調順調。
腕が良いからさ👍
セミナーだって6クラス持ってて毎月70人に教えてるよ。
誇れる弟子たちがたくさんいるんだよ✌️
まぁまぁな先生業もやってるぜ笑🤟
そうジョーク混じりに伝えるとそうかそうかと黙ってうなづいていた。
また来るからさ、じゃあね👋
と伝えたのが最期になった。
今日は午前中から葬儀関連の話し合いをして、葬儀、火葬は11月7日になった。
母の時と同じ葬儀会社なので安心してすぐにいろいろと決めることができ、方々に連絡なども無事に終わったので急いで夕方の飛行機を取ったよ。
こんな時に飛行機でどこに行くって?
福岡に決まってるだろ。
仕事だよ、仕事。
あなたが産まれた九州の地だよ。
仕事を裏切らないのが1番安心するんだろ?
これからも俺の整体師としての生き方を見ていてよ。
そしてまた数十年後に会いましょう。
その時は最後に両手で俺の手を握った時のように握手で迎えてくれよ。
じゃあ、またね。