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- 古藤 格啓
東京は急に温度が下がり秋めいてきました。
ここ数日は着ていくものに迷い、時間が取られる朝です。
こんな時期に僕にとっては少し重い出来事があります。
実は父親の容態がかなり悪化しています。
6月くらいまではとても元気でした。
3年前に母が亡くなり、ひとりで暮らしておりましたが地域のいろいろな方や昔からの友人と関わることで社会的な生活を営んでおり、僕はそこに甘えながら見守る形でお互い過ごしておりました。
なんとなく体調が悪く7月に突然入院して1ヶ月。
まさかの入院だったので家の中もそのまま。
そのあと老健でお世話になっておりましたが、3日前にまた病院に戻りました。
ここからは緩和ケアという形で穏やかに過ごしていくことになりました。
最後を迎えるにあたってとにかくその激しい痛みを消してあげたい。
緩和ケアで痛み続ける体をどうか鎮めて欲しい。
ここ1ヶ月くらいは食事も喉を通らず…おそらくそんなに遠くない先にエピローグが待っているでしょう。
そうやって体は死という全てからの卒業への準備をしているのでしょうね。
それでも悲しい、寂しいという感情よりも、今更ながら父の深かった愛を感じている次第です。
そんな状況なので今月から来月にかけては家族一同覚悟しております。
現在の状況を鑑みて今月末に予定していたトークライブは中止とさせていただきます。
飛行機や新幹線で来る方もいたのに申し訳ないです。
それに併せて一部のセミナー、福岡のサロン営業も中止の可能性がありますので、何かありましたら該当の方にはすぐに連絡をいたします。
表参道での施術の予約も現在いただいているご予約以外は全て停止しております。
ご迷惑をおかけいたしますがご理解のほどよろしくお願いいたします。
大人になって初めてかもしれない。
面会に行った時、おもむろに父親から手を握ってきた。
父親の手は僕より全然大きくて分厚かった。
この手でたくさん働いて苦労してきたんだ。
お互い手を握りながら思い出したのは、生意気だった高校生の頃にこの手のひらで顔を張られたこと。
そんなことはたった一度だけだったからこそ覚えているのだろうか。
そして父もそれを覚えているだろうか。
洒落の好きな父はよく言葉で遊んでいた。
お返しだ。
掴まれし
よく来てくれたと 感謝せり
忘るるものか 父の厚き手
病床の
死期を悟りぬ 我が父の
骨(こつ)を触りて 我が袖濡らす
そうそう、病院に戻る前日に父親のことでちょっと不思議なことがありました。
またそれはいつかお話したいと思います。